延ヶ丘 帰結

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『帰結――きけつ――』

 
 
 恥ずかしい話なんだけどね、ライゾウに二股の疑惑がかかったのよ。
 それは結局あたしの勘違いで、ただの幼馴染の女友達だったらしいんだけど……、そんなの絶対に怪しいよね。実は、今だって疑ってるわ。
 とにかくあたしはその時、悲しくて悲しくて、この指輪をここから投げ捨てたの。
 こう、振りかぶって、思いっきり。ボールを投げるみたいに、遠くの山をめがけて。指輪はすぐに見えなくなった。
離れた所、あたしは、まさにこの場所に立ってたから、あそこね。あそこにコウノスケがいたんだけど、そんなことはどうでもよかった。そうしないではいられなかったの。
でも、なんだかバカみたいだけど、指輪が消えた瞬間、あたしは投げ捨てる前よりも悲しくなっちゃったのよ。
この指に今の今まではめてたんだって思うと、どうしようもなく寂しくなって、それで、そのままその手を、街に向かって差し延べた。戻って来い、って念じたわけじゃなくて、ああ、なくなっちゃったな、って思いながら、腕を伸ばして、手の甲からちょっとだけ覘いてるはずの宝石を眺めてたの。……有るわけがないんだけど。
この像の格好はね、その時の格好なんだって。
ああ、でも、ミズキさん。これは絶対に内緒ね。こんな真実が広まったら、延ヶ丘女神像が勘違い女の悲しみっていう題名になっちゃうわ。
 じゃあ、どうしてこの指に、投げ捨てたはずの指輪がはまってるんだと思う?
 ……え? まさか。代用品でごまかすなんて、そんな姑息な真似はしないわよ。もし、仮に指輪が戻ってこなかったら、正直に言ってたわ。あなたの動向が怪しいからよ、って。勘違いされる方が悪いのよ、あたしが気を使ってやる必要なんてないわ。
……そう。コウノスケが探し当てたのよ。
 あいつは一部始終を見てたけど、指輪を投げ捨てたなんて思ってなかったみたいで、あたしがこうやって自分の手を眺めてたら、どうしたんですか、って駆け寄ってきたの。
 指輪がなくなっちゃったの。あたしは街を指差してそう言ったわ。そうしたらあいつ、どうしてそんなに大切なものを捨てちゃうんですか、なんて、怒りながら言うの。
 あたしもその一瞬だけは悲しんでたことを忘れて、怒鳴り返してやったわ。何て言ったんだっけな……、忘れちゃった。
しばらくしてからコウノスケは、その指輪が見付かれば悲しみが晴れるんですね、って、どうしてだか嬉しそうに言ってね、じゃあ僕が探してきますよ。勝手にそう決めて、慌てて林の中へ消えていったの。
あの時はまだ夕方になる前だったから、指輪が飛んで行くのを見てたあいつは、どの辺りに落ちたのか分かってたのかな。
あたしはそれからライゾウと会う時は、ライゾウの動向が怪しいから外してるのよ、って言ってたわ。まあ、事実は事実だしね。
それから一週間、暇を作ってはここに来たわ。あいつが、指輪を探し出してやって来るかも知れないじゃない。だけど、あたしが行くと毎日のようにここにいたあいつはその一週間、一回も現れなかった。最初はただの気休めのつもりだったんだけど、いないっていうことは探してるっていうことだ、なんて二日目からは都合のいい解釈をしてね、毎日来てた。
そして一週間後、あいつは笑いながらここにいたわ。あたしがそこの階段を上って来ると、空でも飛べそうな軽い足取りで、跳ねるようにして目の前まで走ってきた。
リエコさん、もしかしてこれですか。それがあいつの第一声。相変わらずの作業服から指輪を取り出して、上目遣いに言ったの。
 まさにそれだった。わたしは無言で受け取って、それを指にはめた。
 何も言えなかったわ。期待してなかった、なんて言ったら嘘になるけど、まさか本当に戻ってくるだなんて思ってなかったから。ありがとうって、それだけ言うのも大変だったぐらい。
 コウノスケはこれなんですね、って言うと、わたしの返事も待たずに、よかったぁっ、って飛び上がった。
 この高さから落としたにしては、キズもあんまり付いてなくって、どこに有ったのか訊いてみたら、空き地の草むらの中だったんですよ、運が良かったですね、だって。
 草の根を掻き分けて捜したら出てきたって、あいつは言ってた。
 こんなに小さなものを、こんなに広い街の中から探し出すなんて、どれだけの苦労だったんだろう。今更になって、やっとこんなことを思うんだけどね……、あの時のわたしは嬉しさだけだった。
 それで――、そう、ここでやっと、像の話が出てくるのよ。
 指輪を見つけたお礼として、許可して欲しいことが有るんです。急にかしこまって何を言い出すかと思ったら――。
リエコさんの像を作って、この高台に飾ってもいいですか。息を弾ませてあいつはそう言ったの。
 
10
 
 リエコさんはまた、女神像の立っている台に座った。
「ミズキさんも座るといいよ。立ちっぱなしじゃ疲れるでしょう」
「あ、はい」
 わたしが隣に座ると、リエコさんは今にも陽が沈もうとしている空を見上げた。
「どんな像を作るのか訊いたら、あいつは像の材質とか、作り方とか、ちゃんと服を着ているよ、とか、そういうことを事細かに説明したわ」
 空は、紅く染まりはじめている。
時間が気になったけれど、あいにく延ヶ丘には時計がないようだし、わたしも腕時計なんて付けていない。携帯電話を見れば分かるけれど、今それをポケットから引っ張り出すのは、リエコさんに対してあまりにも失礼だ。
「そして、あたしがいいよって言ったら、自分とあたしの背の高さを簡単に比べた後、指輪を探しに行く時みたいにコウノスケは、そのまま飛んでいくんじゃないかっていう勢いで林の中に飛び込んでいった」
 少しだけ、リエコさんは笑った。心なしか、その声は寂しそうだった。
 幸乃助。その名前が出るたびに、わたしの身体に緊張が走った。幼い頃、二人でこの高台を発見したその日以来、めったに顔を合わすことはなかった従兄弟。たまに親戚どうしで集まっても、もう幼くなかったわたしと彼は、挨拶ぐらいしか言葉を交わさなかった。
 昔、粘土遊びが好きだと言っていた笑顔。この高台をとても気に入っていた子供。
 昔から、遺影の中でも変わらなかった、あの柔和な目付き。
記憶の中にはいない、もう幼くはない彼の人生が、偶然会ったばかりのリエコさんによって語られている。
リエコさんの話をもとに、わたしの中で笑ったり喜んだりしている彼は、どうしても幼い頃の彼になってしまう。だけど、それでもそんな彼の姿はあまりにも新鮮で、数年間遠いところにいたにも関わらず、今、この瞬間まで小さな頃のようにあの従兄弟と仲良く遊んでいたような、そんな錯覚をわたしにさせた。
 自然と、涙が溢れた。
 こんなわたしを見たら、リエコさんはきっと心配するだろう。
 だけど幸い、リエコさんは空を見上げていた。
「それから何日間か、コウノスケは来なかった。今思えば、代わりにあたしがここの常連になってたわ。ライゾウと一緒だったり、一人だったり。あたしはほとんど毎日ここに足を運んでた」
 蝉の声が聞こえる。夕刻が近付いたせいか、昼間よりも幾分その声は小さい。
 羽化したらすぐに死んでしまう蝉の一生。決して弱々しくはないその声が、わたしにはあまりにも儚いものに感じられた。
「そしてある日――、これはもう、最近の話。あたしが来ると、コウノスケのやつは今のあたしみたいにここに座ってて、その後ろには真っ白な像が有った。昨日まではなかったから一瞬魔法かとも思ったけど、パーツごとに作っておいて、ここに来て組み立てたんだって」
 リエコさんの横顔がゆっくりと角度を変えた。その視線はきっと、街に向けられている。
「あたしを見るとあいつは幸せそうな顔をして、自慢げに言うのよ」
 
やった、完成したんだよ!
 
それはリエコさんの言葉ではなく、彼の言葉として、彼の声でわたしに届いた。
 
 やった、完成したんだよ!
 この像の名前は、延ヶ丘女神像。
 だからこの丘は――。
 延ヶ丘っていうんだよ。僕がつけたんだ。ナイスなネーミングでしょう。
 
11
 
 延ヶ丘から見る夕日はまるで街を覆い尽くすように大きくて、そして、言いようもなくきれいだ。
「こんな時間になっちゃってごめんね。どんな事情が有るのかは分からないけど、こんなに遅いのは、さすがに良くないわよね」
 リエコさんは腕時計を見た。
「近くに知り合いはいるの?」
 知り合いはいる。それどころか、顔すら知らない親戚だってたくさんいるはずだ。
 わたしはただ、いますと言った。
「よぉし、じゃあ、案内して。送ってあげるから」
 リエコさんは歩き出す、わたしもそれに続いて、階段の方へ向かった。
 途中、リエコさんは振り向いて、女神像に向かい手を伸ばし、じゃあね、と言った。
 その寂しそうな顔は、なんとなくではあるけれど、延ヶ丘女神像に似ていた。
黄昏時の、薄暗さのせいかも知れない。
 
「あたしね、これからコウノスケのお通夜に行くの。昨日の夕方ここに来たら、コウノスケの友達だっていうひとが像の前に立ってて、もしかして、ここでコウノスケと会っていたっていう人ですか? そう言ったわ」
 リエコさんは階段の五段目で立ち止まると、上を向いた。
「あたしが頷くと紙を渡して……。その紙には住所と、地図が書いてあったの。確認しに行ったら……本当だった」
 リエコさんの声が、湿ったものになる。
 わたしは――、わたしは、振り向いて女神像を見た。空の色に染まった石膏の女神像。悲しそうに、寂しそうにしているのは、夕日の色のせいだろうか。
向き直ると、木々に囲まれた暗闇には、女神像のようなリエコさんの背中。
その背中に、わたしはそっと声をかけた。
「リエコさん、あの、わたし実は――」
 
 
 
――了――