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『再転――さいてん――』
6
「ああ、ごめんね。なんだか、急に暗い話になっちゃって」
わたしは反射的に、大きく頭を横に振った。
リエコさんじゃないけれど、もしかしたら、と思った。でも、まさか、とも思った。
「あの」
リエコさんの話を、聞かずにはいられない。
とにかくリエコさんの話を聞きたい。そう思った。
「迷惑じゃなかったら、そのお話、もっと聞かせてくれませんか?」
なんて不躾な提案なのだろう。
返事はない。リエコさんは台に座ったまま、動かずにいる。
とりかえしのつかないことをしてしまったような気がした。わたしの周りでは、鳥の声さえも黙り込んだ。
ざわざわ。木の葉の擦れる音が、沈黙した空気を震わせる。それでも石膏の像と、その足元に座るリエコさんの表情は動かない。
耐えきれなくて、わたしは目を逸らした。
「この像のモデルは、あたしなのよ」
わたしの耳に届いたのは、さっきまでと何も変わらない声。それでも、その表情を確かめる勇気はわたしにはなかった。
「ねえ、似てる?」
楽しげな声が、わたしの視線を引き寄せる。目の前の笑顔は、とても懐かしくわたしの目に映った。
軽く、リエコさんに勘付かれないようにためいきをついた。
リエコさんは台の上で立ち上がる。像とリエコさんの背はだいたい同じくらいで、リエコさんの顔は女神像の顔のすぐ隣に並んだ。
「そう言われてみると――、なんだか似てますね」
確かに像とリエコさんの顔立ちはよく似ていた。
だけど、よく分からないけれど、リエコさんらしくない。あくまでも似ているだけで、モデルがリエコさんだとは思えない。
「えー、そうかなぁ、似てる?」
リエコさんは驚いたように言って、真横の顔を見つめた。
「似てるかなぁ。あたしは、こんな顔じゃないと思うんだけどなぁ」
どうやらリエコさん自身も、似ていないと思っているらしい。わたしの見解も、あながち間違ってはいないようだ。
「でも、第三者が言うならそうなのかも。自分の顔って、本人には分からないものね」
そう言いながらリエコさんは台から飛び降りた。
「それで――、もっと聞かせるって言っても、何をどう話せばいいのかな。ただの思い出話でいいのかな」
わたしは頷いて、はい、と言った。
7
あいつは、あたしが初めてここに来たとき――つまり婚約者と一緒に来た時から、そこの柵から身を乗り出して風景を見てたの。あたしたちがやって来ると、あいつは居心地が悪そうに、雑木林の中へ消えていったわ。
その時は、なんか変なやつだなって思ってた。今もそうだけどね。
あたしはそれから何度か、一人でここに来てたんだけど、あいつは大抵ここにいて、あたしが来るといつも気まずそうにしてた。汚れた作業服みたいなのを着ててさ、それはもうおかしなやつだった。
あたしの婚約者はその――。
あはは、なんだか、名前がないと話しにくいや。ま、名前を隠す必要もないし、いいか。あたしの婚約者は、ライゾウっていうの。わかった?
うん、じゃあ続けるね。
ライゾウはこの丘に変な男がいるっていうのを知ってたみたいで、あたしが一人でよくここに来てるって言ったら、大丈夫だったかい? 大丈夫だったかい? って、そればっかり。
それでね、勢いに乗ってライゾウは「僕に君を守らせてくれ」って言いながら、この婚約指輪を渡したの。あたしとライゾウの間では、そんなプロポーズなんて考えられなかったんだけどね。自分で言っちゃうのもどうかな、って思うけど、あたしの方が気も強いし喧嘩だって強いんだから。
ほら、この指輪がそれ。小さいけど、ちゃんと宝石だってついてるのよ。かわいらしいでしょ。
ああ、心配しないで。ただののろけ話じゃないんだから。これがね、大事なの。
像を作った、変人の方に話を戻すわね。
ライゾウは心配してくれたけど、その男は、顔付きはなんだか柔和そうで、悪いやつには見えなかったのよ。それに、あたしが行くといっつも居心地が悪そうにする、そいつに何か言ってやりたかった。
だから、声をかけたの。きみもここが好きなの? って。
そうしたらそいつ、急に明るくなって、はい! って返事をしたのよ。その上、それまでが嘘だったみたいによく喋るようになってね、この高台のいいところや、どれくらい好きかっていうことをずらずらと並べだしたのよ。それはもうきりがなくて、今となってはあいつの言ってたことなんて殆ど覚えてないわ。
だけどその時たった一つ、とんでもないこと言うなぁ、って思ったことが有ってね。
わかる?
そんなに考えることじゃないわ。これよ、これ。女神像。
僕はここに、僕の作った像を置くんだ。そう言ったのよ、あいつは。そういう仕事なの? って訊いたら、首を振って、いいえ、趣味でやっているだけですよ、だって。
思わず言っちゃったわよ。きみは面白いなぁって。そうしたらあいつ、照れたみたいに笑ってた。
そしてそいつは、訊いてもいないのに名乗ったわ。コウノスケだって。仕方ないからあたしも言ってあげたのよ。
あたしのことはリエコさんって呼んでね、って。
8
「リエコさんって呼ばせたのは、きみと同じだね」
話しながら、リエコさんは柵の所まで歩いて行った。
「そういえばきみの名前、まだ知らないや。教えてもらってもいいかな」
「あ、わたしは――」
今まで、ずっと気になっていたような気がする。なかなか名乗る機会がなくて、そわそわしていたような気がする。
でも、そんなことなんか簡単に薄れてしまうほど、わたしの中はコウノスケという言葉に占められていた。
幸乃助。それはきっと、わたしの従兄弟のことだ。ここに来る前、ほんの数時間前、花に囲まれた遺影の中で笑顔を湛えていた彼を見てきたばかりだ。
確かにそんな予感はしていた。そうじゃないかと、ずっと思っていた。
だけど、突然現れたその言葉は、わたしには荷が重いぐらいに衝撃的だった。
「わたしは――、瑞葵っていいます」
このことを、コウノスケがわたしの従兄弟だということを、リエコさんに言うべきだろうか。
「そっか、ミズキっていうのかぁ。ちゃん付けがいい? それともさん付けがいいかな」
「え……、じゃあ、さん付けでお願いします」
正直に言えば、そんなことはどうだってよかった。それなのに、リエコさんにちゃん付けで呼ばれると、多分変な感じだな、なんて考えてしまう自分が憎かった。
「わかった。じゃあミズキさん。続き、話してもいい?」
言うべきか、言わざるべきか――。
「はい」
「じゃあ、続きね。ここからだよ、この像ができるいきさつは」
リエコさんは街を見下ろして話しだした。
わたしは、自分の口で、言うべきことを言う機会を退けてしまった。
振り向くと、女神像がこちらに向かって左手を差し延べている。その白い体に反射する日光は、今はあまり眩しくない。
太陽が傾きはじめているらしい。ここに来た時から、もうそんなに時間が経っているのか。
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