延ヶ丘
――のべがおか――
『発起~ほっき~』
1
木漏れ日とはいえ真昼の陽射しは強く、わたしの身体に突き刺さった。
さっきまで背中に聞こえていた車の走り抜ける音も、ここまでくると蝉の声に打ち消されてしまうらしい。無理もない、蝉の声は狂ったように大きくて、自分の息遣いでさえも、腐葉土を踏み締める音でさえもとても小さく思えるほどなのだから。
果たして自分という存在は本当にここにいるのだろうか、ともすれば忘れてしまいそう。
だけど、鼓動の音だけは恐ろしく大きかった。
暑いなか足場の悪い傾斜を登っているせいもあるのだろうけれど、これは高揚のせいなのだろうか。
迷ってしまうかも知れない、という不安。そしてなにより、あのときの面影を追っているような感動。
ヒミツキチにつれていってあげる。
自慢げに言う彼の後ろ姿が、すぐそこに見える気がする。以前ここに来た時は、彼は今のわたしより小さくて、わたしはもっと小さかった。何度も転んで、服が土にまみれて、だけどケガはしなかった。
よく覚えている。身軽に、跳ねるように先へ進んで行ってしまう背中を、わたしは服の土をはらう余裕もなく、時には四つん這いになって必死で追いかけた。待って、と叫んでも、笑って振り向くだけで立ち止まってはくれなかった。
――意地悪な子供だったなぁ、君は。
幼い頃の、活発で生き生きとした彼の記憶、幻影は、今にしてみればかわいらしく、いとおしい。
と言っても、今ではもう、あの頃の彼の顔を詳しくは思い出せないのだけれど。
――ああ、そっか。
笑える。
なぜって、わたしはあの頃の彼の顔どころか、この雑木林をどの方向に向かって進んだのかでさえ、きれいに忘れているのだから。
だけど、そんなことは考えてみれば当然で、今更やっと気づいた、というものでもない。だいたい、それくらいのことはこの雑木林に入る前から分かっていたことで、それでも雑木林に踏み入ったわたしに何か欠落していたものが有ったのだとすれば、道程を忘れていることを考慮に入れていなかったということよりも、それを覚えていなくともなんとか目的地には辿り着けるだろうという甘い考えをしていたという点だ。
なにもわたしは、どこに有るか見当もつかないあの時の秘密基地を探し出そう、なんて途方もないことをしようとしていたわけじゃない。
もはや記憶の中でさえ色褪せてしまったその空間が現在どうなっているかなんて、考えるまでもない。なぜならその秘密基地というのは、じめじめとした雑木林の中、拾い物のビニール傘とビニールシートを寄せ集めただけのものだったのだから。
仮にその場所が未だに残っていてそれを発見できたとしても、それは思い出のカケラでこそあれ、秘密基地なんていう大層なものの址ではないのだろう。
だから、むしろあの秘密基地とは対面したくない。そんなものを見つけたら、わたしは余計に虚しくなってしまうだろうから……。
そういえば、こんなふうに秘密基地のことを考えたのは初めてだ。というよりも、今まであの秘密基地のことなんて意識してすらいなかった。わたしは、秘密基地に行った時に偶然見つけた場所、雑木林に囲まれた高台の広場に行こうとしか考えていなかったのだ。
確かにその高台への道程だって分かるわけがないのだけれど、その場所はちょっとしたガケみたいになっていて、下の街の方から見上げると木の生えていない一角があるのが分かる。だから、だいたいどの方向に進めばいいのかっていう見当はついている。いや、ついていた。
周りは木だらけで何の目印もない雑木林の中、自分が直進しているかどうかにも自信が持てないこの状況で、だいたいの方向なんていう不確かなものは不安しか与えてくれない。
だけど立ち止まらないのは、あと少しで辿り着けるだろうという楽観的で、しかし心強い考えが心の隅っこにしぶとくひっかかっているおかげである。
「じゃあ、もう少し――」
行ってみようか、と自分を励ますように言って、大股で踏み出す。
その時――。
その場所は突然現れた。蝉の声と木々の圧迫感に押し出されるようにして、わたしはその空間に飛び込んだ。
2
そこは小さな公園のようであって、山頂のようでもあって、空の一部にも思えた。
下界から遮断された、空中にいるみたいな気持ちになる。山々に阻まれるまで長く、広く続く小さな町並みはまさしく山頂から眺めたものであるし、だけど落下防止用の柵に囲まれたその場所はやはり人の手が加えられた公園でもある。
ただの丘に立っているだけなのに、なんだかすごく、不思議な気分。果たして帰れるのか、なんていう不安は二の次で、今はただこの場所に立っているという事実がすごく感動的だ。
彼と見つけた思い出の場所、ということを差し置いても。
「ちょっときみ」
「うわ!」
すぐ後ろから声をかけられて、思わず声をあげた。
「あ、驚かせちゃった? だけどね、あたしの方だって驚いたんだよ。だって、林の中から突然人が出てくるんだもん」
可笑しそうに言って、彼女は少し笑ってみせた。美人で、背の高い女の人だった。
「ああ、わかった。きみ、この辺のひとじゃないんだ。旅行か何かでやって来て、たまたま下の方からこの場所を見上げて、行きたいなあ、って思って当てずっぽうに登って来たんでしょ」
初対面でよく喋るこのひとに圧倒されて、ただ頷くことしか出来なかった。それに、確かに彼女の言うことは遠からず当たっている。
「ほら、やっぱり。実はね、この場所に来るための階段はちゃんと有るんだけど、入り口の所にたくさん草が生えてるせいで、その階段は隠れちゃってるのよね」
一通り話し終えたらしく、彼女は再び笑顔を見せた。わたしはどう対応したらいいのか分からなくて、彼女の方を向いたまま、横目で街を見下ろした。
それはただの、上から見た昼の街でしかないけれど、なんだか――きれいだ。
長い街路樹の列、いくつもの看板、不揃いな高さのビル、強い陽射し。この眺めのどこにそんな、きれいだと思える要素があるのだろう――。
「いいよね、この眺め」
声を張り上げて彼女は言った。その目は街の方に向けられていて、わたしと同じように、風景に魅入られているようだった。
わたしの視線に気付いたらしく、彼女はまた、こっちを向いて笑ってみせた。わたしはやっぱり、どう対応したらいいのか分からなくて目を伏せた。